「【76番札所金倉寺】金倉寺ゆかりの人物と&【WiLL増刊号】・岩田温先生動画」

こんばんは・・・鹿児島県南大隅町(旧根占)出身で東京都町田市成瀬の自然豊かな街に住んでいます大園です。
「歌子のコラム」をお読みいただきまして有難うございます。🍓🍍

8時半集合の恩田川周辺のゴミ拾いボランテアに行く予定をしていましたが、夫がカラオケサークルに出かける準備をしだしましたのでとりやめました。(何かやろうとすると何かしら都合が悪くなる私です。(笑う)

パソコン作業、YouTubeを視聴視聴したりその後近くのスーパーまで行きお買い物して弁天橋公園の弁天様に手を合わせ11時25分になりましたので写真を撮りながら帰りました。(#^^#)🍓🍍

 

 

 

家持ち主の若い方が門の前にいらっしゃって写していいかお聞きしてから写しました。
(写しましょうかー)と言って下さいましたが、(年寄なのでいですとお断りしてしまいました)
写すだけでも写してもらえばいいのに頑固な高齢者で自分ながら情けないなと思いました。(笑う)🍓🍍

 

 

 

 

 

 

しばらくぶりに弁天橋公園まで来て周りには雑草が多くなっていましたし恩田川に泳ぐ鯉も久しぶりに見ました。🍓🍍

 

 

 

 

 

 

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【76番札所金倉寺】金倉寺ゆかりの人物と日本近代史の輝かしい1ページのリンクをはらせていただきました。🙏🙏🙏🙏🙏🙏

 

 

 

 

 

【76番札所金倉寺】金倉寺ゆかりの人物と日本近代史の輝かしい1ページ🙏🙏🙏🙏🙏🙏🙇

 

 

https://pilgrim-shikoku.net/nogimaresuke-konzoji76

 

乃木希典は善通寺の第11師団に赴任中は金倉寺の堂宇を住まい(寮)として、司令部へは自転車で通っていたと伝わります。🙏🙏
ある日、この寺に妻である静子が夫の身を案じて訪ねて来た。しかしながら乃木は職務中であるから私情を挟むわけにはいかない、と妻と面会することを拒絶した。途方に暮れる静子夫人。その横にあったのがこちらの松だったそうです。🙏🙏

その後休職を経て復職した日露戦争において、乃木は第3軍の司令官として従軍。旅順攻囲戦における大激戦の末の勝利や、降伏したロシア兵に対して同じ武人として紳士的に振る舞ったことは、日本はもちろん世界的に報道され称賛を浴びた。しかしながら日露戦争で多くの部下はもちろん、自身の子を2人失っている。🙏🙏

凱旋帰国した乃木希典は、当時軍施設が点在し多くの軍人らが暮らす東京赤坂に居住。明治40年(1907)1月には学習院長に命じられる。これは明治天皇の皇孫にあたる迪宮裕仁親王(みちのみやひろひとしんのう)こと後の「第124代天皇・昭和天皇」が同年4月に学習院に入学することに伴い、乃木に絶大な信頼を置いていた明治天皇の意向もあって、彼がその養育係を務めることになったことに起因する。🙏🙏

 

 

 

第76番札所 Konzoji 金倉寺🙏🙏🙏🙏🙏🙏

 

 

 

 

 

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