「四国霊場 第38番|補陀落渡海の出発地!足摺岬にあるお寺&岩田温氏の動画」

こんばんは・・・鹿児島県南大隅町(旧根占)出身で東京都町田市成瀬の自然豊かな街に住んでいます大園です。
「歌子のコラム」をお読みいただきまして有難うございます。🍊🍋

起床してからゴミ集積所までゴミを持って行き、ついでに散歩いたしました。(#^^#)
朝早い散歩は気持ちの良いものですね・・・

故郷であれば自然沢山ある庭なので起きて戸を開けると目にパーッと竹、松、フキ、朝日が入りますが、一棟に仕切られた部屋では、外に出なければなりません。🍊🍋

朝食を取りパソコン作業をやりましたが、午後から夫を連れて杉山神社の脇から坂を上り山吹緑地まで行きました。🍊🍋

 

 

 

⇓  山吹緑地の動画です。🍊🍋

 

 

 

 

 

 

そこから下って神奈川県のあかね台の公園まで行き休憩をしましたが、夫が転び慌てました。🍊🍋

 

 

 

久ぶりに梅の実も見たり、山や畑は幼い頃両親が働いていた頃のような場所で懐かしい思いがいたしました。(笑う)🍊🍋

 

 

 

 

 

 

金剛福寺の御朱印|四国霊場 第38番|補陀落渡海の出発地!足摺岬にあるお寺さんです|四国八十八ヶ所 車遍路の旅(高知県土佐清水市のリンクを貼らせていただきました。🙏🙏🙏🙏🙏🙏

 

 

 

 

 

金剛福寺の御朱印|四国霊場 第38番|補陀落渡海の出発地!足摺岬にあるお寺さんです|四国八十八ヶ所 車遍路の旅(高知県土佐清水市)🙏🙏🙏🙏🙏🙏

 

 

https://goshuin.138shinsekai.com/2022/01/06/kongoufukuji-kouchi/

 

 

822年、弘法大師が足摺岬で補陀落の世界を感得したという。そんなこんなで、嵯峨天皇から補陀洛東門の勅額を受け、三面千手観世音菩薩を刻んで堂宇を建立したのが始まりといいます。🙏🙏

その後、歴代天皇の勅願所となったそうです。

そして、平安時代後期に観音霊場として信仰されるようになり、後深草天皇の女御の使者や和泉式部などが参詣。

鎌倉時代には、源氏一門の尊崇を受け、多田満仲(源満仲)が多宝塔を建立するなど、諸堂の修築を行ったという。🙏🙏

鎌倉時代末期〜室町時代にかけて熊野信仰が盛んになると、このお寺は土佐周辺の修験者の拠点となったそうです。

室町時代には、京都・仁和寺から下国した尊海法親王が住職を務め、さらに一条家の庇護を受けて繁栄し、土佐国で最大級の寺院へと発展したそうです。🙏🙏

戦国時代、土佐の領主・長宗我部氏が篤く帰依しますが、次第に荒廃していくことに。。

その後、1661〜1673年に土佐藩2代藩主・山内忠義が再興し、現在に至るそうです。

●寺号の由来

弘法大師は、唐の長安にある青龍寺で恵果和尚から真言密教の奥義を伝授されたという。🙏🙌

そして日本に帰国する際、唐から東の空に向けて五鈷杵を投げたそうです。

その五鈷杵が着地した場所がここ足摺岬といわれています!🙏🙏

 

 

 

 

第38番札所 Kongofukuji 金剛福寺🙏🙏🙏🙏🙏🙏

 

 

 

 

 

橋下徹氏に反論する! 論点をすり替え、主張の一貫性のなさは言論人とは呼べない。🍋🍊🍋🍊🍋🍊

 

 

 

 

 

 

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