「35番札所清瀧寺は車遍路の最難関、厄除け薬師如来&古館氏・竹田氏動画」

こんばんは・・・鹿児島県南大隅町(旧根占)出身で東京都町田市成瀬の自然豊かな街に住んでいます大園です。
「歌子のコラム」をお読みいただきまして有難うございます。🍊🍋

お天気の良い日でした。
夫はデイサービスへ行き午後4時までゆっくり過ごせました。(#^^#)

様々な方々のYouTubeを視聴しますが結構情報が入ります。
様々な情報なので自分で納得いかないものは途中で切り替えます。🍊🍋

 

いつも言うことですがコロナも収まらない、ロシアはウクライナに侵攻して、早く停戦になるように願います。(合掌)
お昼前に近くのスーパーでお買い物してテレビを観ながら昼食を取りました。🍊🍋

 

今日の写真です。

 

 

 

 

 

 

 

 

下の方に古舘伊知郎さんと竹田恒泰さんのYouTubeをを埋め込みましたので
ご視聴くださいませ。🍊🍋🍊🍋🍊🍊

 

 

 

 

高知県土佐市|35番札所清瀧寺は車遍路の最難関、厄除け薬師如来像では戒壇巡りができる!のリンクを貼らせていただきました。🙏🙏🙏🙏🙏🙏

 

 

 

 

 

高知県土佐市|35番札所清瀧寺は車遍路の最難関、厄除け薬師如来像では戒壇巡りができる!🙏🙏🙏🙏🙏🙏

 

 

 

https://tokushimagoshuin.com/kouchi-kiyotakiji-goshuin

 

清瀧寺について

伝によれば養老7年(723年)行基が本尊薬師如来を刻み、寺を開創し、景山密院繹木寺(けいさんみついんたくもくじ)と称したという。その後空海(弘法大師)が巡錫、五穀豊穣を祈願して山中で一七日(7日間)の修法を行い、満願の日に金剛杖で前の壇を突くと清水が湧き出て鏡のような池になったことから醫王山鏡池院清瀧寺と改めたという。🙏🙏

平城天皇の第3皇子である高岳親王は薬子の変に連座したことから仏門に入り空海の弟子となり真如と名乗った。貞観3年(861年)に本寺に来錫し逆修塔(生前墓)を建てた。
江戸時代は繁栄したが、明治4年(1871)廃寺となり、同13年(1880)再興された。🙏🙏

清瀧寺は行基菩薩による開基で、当時は院号が「景山密院」、寺号が「繹木寺」でした。後に弘法大師がこの地で修法を行い、現在のように院号・寺号を改めました。

江戸時代に火災で焼失していますが、慶安4年(1651年)に土佐二代藩主・山内忠義によって再建されています。かつては「山王清瀧権現」として信仰を集めました。🙏🙏

高知の札所に多いですが、清瀧寺も明治初期の廃仏毀釈で廃寺となって後に復活したパターン。

正式には醫王山(いおうざん)鏡池院(きょうちいん)清瀧寺(きよたきじ)といい、真言宗豊山派のお寺です。🙏🙏

 

 

第35番札所 Kiyotakiji 清滝寺🙏🙏🙏🙏🙏🙏

 

 

 

 

 

プーチンと側近に深い溝。何も言えない側近たちのせいで勘違いが起き招いた戦争。長期化と士気の低下を語る。🍋🍊🍋🍊🍋🍊

 

 

 

 

ロシア・中国の脅威に対抗すべく!日本はNATOに入るべき!NATTO(なっとう)へ!!🍋🍊🍋🍊🍋🍊

 

 

 

 

 

 

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