「33番札所は秦神社に隣接する長宗我部家ゆかりの寺&平和を願う池口恵観大阿闍梨」

こんばんは・・・鹿児島県南大隅町(旧根占)出身で東京都町田市成瀬の自然豊かな街に住んでいます大園です。
「歌子のコラム」をお読みいただきまして有難うございます。🍊🍋

 

今日は何処もお出かけしなくて家にこもって過ごしています。(不健康です笑う)
行きたい所も有りますが、我慢してYouTubeを視聴したり、お取り寄せしたいものがありましたので検索したりで。🍊🍋
お念珠の紐が切れてしまいましたのでどこか修理して下さるお店など探しています。

日々の生活も無理のないようにそして少しでも長生きしたいなと思います。🍊🍋

 

先日写しました。

 

 

 

 

 

 

 

 

戦争ーロシア、ウクライナ。高野山にいる平和を願う僧達。平和を願う池口恵観傳燈大阿闍梨。世界平和を願う高野山の僧。音ー自然音4k高画質。協力ー高野山ー成福院、高野🙏🙏🙏🙏🙏🙏

 

 

 

 

 

 

 

高知県高知市|33番札所雪蹊寺は秦神社に隣接する長宗我部家ゆかりのお寺、嫡男のお墓もあるよ野リンクうぇお貼らせていただきました。🙏🙏🙏🙏🙏🙏

 

 

 

 

 

高知県高知市|33番札所雪蹊寺は秦神社に隣接する長宗我部家ゆかりのお寺、嫡男のお墓もあるよ🙏🙏🙏🙏🙏🙏

 

 

https://tokushimagoshuin.com/kouchi-sekkeiji-goshuin

 

 

 

雪蹊寺について

寺伝によれば空海(弘法大師)の開基で、創建当初は真言宗に属し、「少林山高福寺」と称したという。🙏🙏

『土佐国編年紀事略』には嘉禄元年(1225年)、右近将監定光なる人物が高福寺を創建したとする。天正16年(1588年)の長浜地検帳には「慶雲寺」とあり、この頃までに慶雲寺と改称していたことが窺える。

寺に伝わる毘沙門天および両脇侍像は、毘沙門天像の足枘銘から湛慶の真作と判明し、高福寺創建の嘉禄元年(1225年)頃の作と推定されている。ただし、湛慶作の仏像が都から遠く離れた土佐に伝わった経緯は定かでない。鎌倉時代に仏師運慶と長男の湛慶が来山して「慶運寺」と改めたという伝承もある。🙏🙏

その後、寺運が衰え、廃寺となっていたが、天正年間(1573年 – 1593年)の後期に月峰和尚が住職となり、土佐国の戦国大名長宗我部元親の後援で臨済宗の寺として復興した。慶長4年(1599年)の長宗我部元親の病没後、当寺は長宗我部家の菩提寺となり、元親の法名「雪蹊恕三大禅定門」から「雪蹊寺」と称した。🙏🙏

江戸時代初期には「南学発祥の道場」といわれ天室僧正が朱子学南学派の祖として活躍、野中兼山などの儒学者を生み出した。🙏🙏

明治時代になると廃仏毀釈により明治3年(1870年)廃寺となり、翌年、後方に隣接して当寺所蔵の長宗我部元親坐像を神体とした秦神社が建立された。その後、大玄和尚により復興した。なお、その間の納経は、31番竹林寺で「高福寺」の名でされていたという。🙏🙏

 

 

 

第33番札所 Sekkeiji 雪渓寺🙏🙏🙏🙏🙏🙏

 

 

 

 

 

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