「18番札所恩山寺では摺袈裟を入手せよ!弘法大師の母君ゆかりのお寺&動画」

こんばんは・・・鹿児島県南大隅町(旧根占)出身で東京都町田市成瀬の自然豊かな街に住んでいます大園です。
「歌子のコラム」をお読みいただきまして有難うございます。💮🌸

成瀬駅前の鍼灸整骨院さんへ予約していましたので行き、帰りは、TENT成瀬さんの前で青空市があり長ネギ一束と甘いお菓子一個買い近くのスーパーでお買い物して帰った時知人から電話が有ったらしく、折り返し電話しました。

近いうちにお会いしてみたいなと思っております。(#^^#)💮🌸

恩田川遊歩道は桜の花見の人がカメラを持たれたり、親子ずれの皆さん沢山いらっしゃいました。
夜はライトアップされるらしいです。💮🌸

 

4月2日に写しました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

子育てが終わり、老後は四国88カ所の遍路に行きたいと思っていましたが、願いは叶いませんでしたのでリンクを貼ることにしています。🙏🙏

 

 

 

徳島県小松島市|18番札所恩山寺では摺袈裟を入手せよ!弘法大師の母君ゆかりのお寺のリンクを貼らせていただきました。🙏🙏🙏🙏🙏🙏

 

 

 

 

徳島県小松島市|18番札所恩山寺では摺袈裟を入手せよ!弘法大師の母君ゆかりのお寺

 

 

https://tokushimagoshuin.com/tokushima-onzanji-goshuin

 

 

寺伝によれば聖武天皇の勅願により行基が開基し、当初は「大日山福生院密厳寺」と号する女人禁制の道場で、「花折り坂」より上は女性の立ち入りが許されなかった。
弘仁5年(814年)、空海(弘法大師)が本寺で修行していた際、訪問してきた母(玉依御前)のために、仁王門の辺りに護摩壇を築き17日間の修法を行い女人解禁を成就し、母を迎え入れた。玉依御前は本寺で出家・剃髪しその髪を奉納したことから、「玉依御前の剃髪所」と云われていて空海が自身の像を刻み現在の寺名に改めたとされる(母養山 恩山寺)。🙏🙏

天正年間(1573年 – 1592年)に長宗我部元親の兵火によって焼失したが、江戸時代に入って徳島藩主蜂須賀氏の支援を受けて復興、文政年間(1804年 – 1830年)に現在の諸堂が建立された。🙏🙏

Wikipedia恩山寺より引用)

恩山寺は聖武天皇の勅願によって行基菩薩が天平年間(729年~749年)に開基、当初は大日山福生院密厳寺と号して、女人禁制のお寺でした。

弘仁5年(814年)に弘法大師がこの地で修行をしていたとき、讃岐・善通寺から母の玉依御前(たまよりごぜん)が訪ねてきましたが女人禁制のため会うことができず、弘法大師は母君のために女人禁制を解く17日間の修法を行ったといわれています。🙏🙏

母君はここで髪を切って出家し、剃髪した髪をお寺に奉納しました。そのとき、弘法大師は現在大師堂の御本尊となっている自像を彫り『我が願いは末世薄福の衆生の難厄を除かん』と誓われました。

天正年間(1573年~1592年)には長宗我部元親による兵火で伽藍が焼失しています。またお前か。

正式には母養山(ぼようざん)宝樹院(ほうじゅいん)恩山寺(おんざんじ)といい、高野山真言宗のお寺です。🙏🙏

 

 

 

第18番札所 Onzanji 恩山寺🙏🙏🙏🙏🙏🙏

 

 

 

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