「 徳島県板野郡|4番札所大日寺は美しい三十三観音像がある芸術的なお寺」

こんばんは・・・鹿児島県南大隅町(旧根占)出身で東京都町田市成瀬の自然豊かな街に住んでいます大園です。
「歌子のコラム」をお読みいただきまして有難うございます。🌂🌈

あいにく今日の 天気は悪い日になりました。
3月12日(土)は夫の体調不良で予約してありました鍼灸整骨院さんをキャンセルしてしまい、今日電話して行ってまいりました。(#^^#)🌂🌈

新型コロナは収まらないは、ロシアとウクライナの戦争は有るは、世界の様々な出来事なども有り、今後の世界・日本はどうなるか

と次世代のことを考えると世界は平和であってほしいと願うばかりです。🌂🌈

 

 

今日の写真のインポート何とかうまくできました。

 

 

 

 

 

 

 

 

アジサイの新芽も出始め、恩田川の桜の花の蕾も膨らみ始めています。
散歩の途中動画も上手く撮れますようにと思っています。(笑う)🌂🌈
FBにパソコンの調子が悪く破棄するかも都の投稿をいたしましてアドバイスなどもいただき感謝しています。
使えるようになりましたことはまだ投稿していませんが、もう少し様子を見てからにしたいと思います。(#^^#)🌂🌈

 

 

 

 

 

 

徳島県板野郡|4番札所大日寺は美しい三十三観音像がある芸術的なお寺のリンクを貼らせていただきました。🙏🙏🙏🙏🙏🙏

 

 

 

 

徳島県板野郡|4番札所大日寺は美しい三十三観音像がある芸術的なお寺

 

 

https://tokushimagoshuin.com/tokushima-dainicjiji-goshuin

 

 

 

大日寺について

寺伝によれば空海(弘法大師)がこの地での修行中に大日如来を感得、一刀三礼して1尺8寸(約55cm)の大日如来像を刻み、これを本尊として創建し、本尊より大日寺と号したという。山号の黒巌山は、この地が三方を山に囲まれ黒谷と呼ばれていたのが由来で、黒谷寺(くろたにでら)とも呼ばれていたという。
荒廃と再興を繰り返し、応永年間(1394年 – 1428年)には松法師により修復がなされ、慶安2年(1649年)には徳島藩2代藩主蜂須賀忠英により本堂を建立して以来、天和・貞享年間(1681年 – 1688年)に再興される。また、元禄5年(1692年)には5代藩主蜂須賀綱矩が、寛政11年(1799年)には11代藩主蜂須賀治昭の篤い帰依を受け堂塔の大修理が行われた。🙏🙏
正徳4年(1714年)に真言宗御室派になり明治前期の当寺住職の泉智等は御室派管長になるが、明治20年以降は京都の東寺の末寺となる。
1998年(平成10年)から2015年(平成27年)まで住職を務めた真鍋俊照は仏教美術学者として著書多数あり。
平成の大修理として、2014年(平成26年)より、大師像、弥勒菩薩坐像、三十三観音像、そして本尊・大日如来坐像が順次修復され開帳された。🙏🙏

 

弘法大師が42歳のとき、この地に長くとどまり修行していたといわれています。修行の際、大日如来を感得してそのお姿を刻み、5.5cmほどの小さな大日如来像を御本尊として大日寺を創建しました。お察しのとおり、「大日寺」の寺号は大日如来に由来しています。🙏🙏

かつては立派なお堂や塔が並ぶ荘厳でとても広い境内のお寺でしたが、何度も荒廃し応永年間(1394年~1428年)と天和~貞享年間(1681年~1688年)に修復され再興したという記録があります。

藩政時代には徳島藩主・蜂須賀家が大日如来を守り本尊としていたため、大日如来を御本尊とする大日寺は藩主により手厚い保護を受けていました。🙏🙏

元禄~宝暦年間(1751年~1764年)には5代藩主・蜂須賀綱矩(つなのり)公により大規模に修復され、これ以降大日寺は荒廃することなく今に続いています。歴代藩主のなかでも、綱矩公はとくに帰依が厚かったといわれています。

正式には黒巌山(こくがんざん)遍照院(へんじょういん)大日寺といい、東寺真言宗のお寺で準別格本山です。🙏🙏

 

 

 

【四国八十八ヶ所】4番札所 大日寺🙏🙏🙏🙏🙏🙏

 

 

 

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