「 徳島県板野郡|3番札所金泉寺は黄金の井戸と御利益&動画」

こんばんは・・・鹿児島県南大隅町(旧根占)出身で東京都町田市成瀬の自然豊かな街にすんでいます大園です。
「歌子のコラム」をお読みいただきまして有難うございます。🚘🚗

自分自身昨夜は良く眠れたと思っております。
今朝の方は目が覚めても起きる気持ちがわかなくて体も重たく感じました。
病気持ちでもまだまだ死ぬわけにいきません。(#^^#)🚘🚗

 

朝食後息子に手伝ってもらって押し入れの中のいらないものの整理をして大分片付きました。
後は夫のガラクタを片付けて、まとめて廃品回収業者さんに取りに来てもらう予定です。
夫は捨てられるのが嫌なようです。(一種の病気なのでしょうかーー?)🚘🚗

 

晩御飯は食欲が出てきて残さず食べてくれました。🚘🚗

薬師池公園にでも行きたいのですが、散歩にも行きたがらないので気が向くまで待つしかないにかと思っております。

 

2021年3月16日の写真です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

徳島県板野郡|3番札所金泉寺は黄金の井戸と御利益もりもりの倶利伽羅龍王をチェックのリンクを貼らせていただきました。🙏🙏🙏🙏🙏🙏

 

 

 

 

 

徳島県板野郡|3番札所金泉寺は黄金の井戸と御利益もりもりの倶利伽羅龍王をチェック

 

 

https://tokushimagoshuin.com/tokushima-konsenji-goshuin

 

金泉寺について

大寺の村名は、当寺に由来する。板野郡は、板東と板西に分かれていたが、その境は当寺の堂の扉板をもって境としていた。🙏🙏
寺伝によれば天平年間(729年 – 749年)に聖武天皇の勅願により行基が本尊を刻み、金光明寺と称したという。弘仁年間(810年 – 824年)に、空海(弘法大師)が訪れた際に、水不足解消のため井戸を掘り、黄金井の霊水が湧出したことから寺号を金泉寺としたという。
亀山法皇(天皇在位1259〜1274)の信仰が厚く、京都の三十三間堂をまねた堂を建立、千躯の千手観音を祀った。また、背後の山を亀山と名付け山号を亀光山と改めた。また、『源平盛衰記』には、元暦2年(1185年)に源義経が屋島に向かう途中本寺に立ち寄ったとの記載がある。🙏🙏
1582年(天正10年)には長宗我部元親による兵火にて大師堂以外の大半の建物を焼失したが、建物はその後再建され現在に至る。境内からは奈良時代の瓦が出土しており、創建は寺伝のとおり奈良時代にさかのぼると推定される。🙏🙏

 

天平年間(729年~749年)に聖武天皇の勅願があり、行基菩薩により「金光明寺(こんこうみょうじ)」として開基されたのが始まり。境内から奈良時代の瓦が出土していて、創建は寺伝の通り天平年間と推定されています。🙏🙏

弘仁年間(810年~824年)に弘法大師がこの地を訪れたとき、水不足で苦しむ民衆のために井戸を掘り、黄金の霊水が湧き出たことから「金泉寺」という寺号に変えました。この井戸が後述する「黄金の井戸」です。🙏🙏

 

 

四国八十八箇所 第三番札所金泉寺🙏🙏🙏🙏🙏🙏

 

 

 

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