「【島津斉彬公像】照国神社&探勝園にある銅像をご紹介!&カワセミと勘違い」

こんばんは・・・鹿児島県南大隅町(旧根占)出身で東京都町田市成瀬の自然豊かな街に住んでいます大園です。
「歌子のコラム」をお読みいただきまして有難うございます。☕🍰

午前中町田市役所に市民税都民税を申告に行く予定でしたが、まだ記入しなければならない箇所と揃えなければならないものがあり、後日行くことにしました。(#^^#)

成瀬駅前のATMまで行き、夫の口座からお引き出し夫の別口座に入金のために昼食後、夫を連れて駅前近くの別の銀行に入金しました。☕🍰

帰りは久しぶりにカフェでコーヒーを飲みながら甘いパンを半分だけ食べて、夫は食べずにコロナも拡大しているのでゆっくもせずにすぐお店からでて帰りまいた。(笑う)

町田市は20日(日)市長と市議会議員の選挙のために駅前では3党の候補者がいましたです。☕🍰

 

今日写した写真です。

 

 

 

 

 

朝銀行へ行く時に写しましたが、久ぶりに恩田川にカワセミが来てくれたなと思い写しましたけれども午後行くときも同じカワセミがいたのかと思いましたら、なんだかゴミが絡んでいたようです。(大笑い)🌾🌿🌾🌿🌾🌿

 

 

 

 

 

 

【島津斉彬公像】照国神社&探勝園にある銅像をご紹介!のリンクを貼らせていただきました。🌾🌵🌾🌵🌾🌵

 

 

 

 

 

【島津斉彬公像】照国神社&探勝園にある銅像をご紹介!🌾🌵🌾🌵🌾🌵

 

 

https://babykids.jp/shiamzu-statue

 

島津斉彬公は、幕末の名君として知られており、西洋諸国の植民地化政策を恐れ、日本がひとつにまとまり、強く豊かな国づくりを目指すべきだとの思想を持っていました。西郷隆盛などの明治維新で活躍する人材の育成を行いました。また、西洋の知識の吸収にも積極的で、『集成館』という工場を作り、造船・製鉄・紡績・電信・ガラスなどの事業に取り組んだとのことです。しかしながら、藩主となって7年後に、急死してしまい、西郷隆盛や大久保利通が斉彬の遺志を継いで、明治維新を成し遂げました。🌾🌵

久光は、第28代藩主の島津斉彬の死後、久光の子供である島津忠義が第29代藩主となりました。忠義の父の久光は、『国父』として、忠義の後見をし、大久保利通たちと明治維新を進めました。明治以降は、政府の左大臣に就任するも、明治8年に辞任し、鹿児島に帰郷。西南戦争では中立を守り、明治20年に病死しました。🌾🌵

忠義は、島津斉彬の死後、第29代藩主として、藩政改革と陸海軍の充実を図りました。また、明治以降後には、鹿児島藩の知事や貴族院議員となり、明治30年似なくなったとのことです。🌾🌵

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