「指宿の高野山光明寺さん&天璋院篤姫さんのリンク」

こんばんは・・・鹿児島県南大隅町(旧根占)出身で東京都町田市成瀬の自然豊かな街に住んでいます大園です。
「歌子のコラム」をお読みいただきまして有難うございます。🍀🍒

オリンピックでは日本もメダル獲得者が出ましたですね・・・
コロナ禍そして熱い夏に行われているオリンピックは国内外問わず頑張る姿は感動します。

今日は指宿の光明寺さんと篤姫さんに関するリンクを貼らせていただきました。🍀🍒

 

午後二時過ぎに成瀬駅前までお買い物に行きましたが、恩田川の岩にカワセミがとまるのですが、最近みなかったのですが久しぶりに見ましたけれどもスマホを忘れてしまいました。(笑う)🍀🍒

 

 

 

 

 

 

 

⇑   2020年7月26日に写した写真です。

 

 

 

 

 

 指宿高野山いぶすきこうやさん 光明寺こうみょうじ

 

 

https://hakataboy.com/temple.php?dirpath=temple/Kagoshima/Ibusuki/KoumyouJI/

 

 

 

薩摩富士といわれる開聞岳かいもんだけの北麓に薩摩一宮枚聞神社ひらさきじんじゃしずまっている。 聖武天皇の御代724-748の創建とされる。慶長15年1610島津義弘が再建した朱塗りの社殿が神々しい。🌲🍎

枚聞神社の別当を普門寺といい、坊津ぼうのつ一乗院の末寺であった。この普門寺の末であったのが光明寺である。修験の道場として隆盛したが、明治の廃仏毀釈で廃寺となった。その後、昭和21年1946川上妙貞尼が霊示を受けて復興した。🌲🍎

昭和26年1951のこと、島津久光の曽孫に当たる島津忠彦は東京に住んでいた。 あるとき、三日三晩にわたって尼僧が夢枕に立ち、「当家に伝わる弘法大師ゆかりの品を奉納するように」と告げた。 夢に顕われた尼僧を探すと、指宿光明寺の妙貞尼がその人であった。こうして代々伝わる弘法大師ゆかりの密教法具の一つ、金色の鳳凰をかたどった香炉と如意棒が、島津家累代の祖霊の願文とともに奉納された。これらは、光明寺の寺宝として現在も大切に保管されている。🌲🍎

 

 

 

 

天璋院篤姫のそれから~明治の世をいかに生きたか

 

https://shuchi.php.co.jp/rekishikaido/detail/4509

 

 

篤姫は天保6年12月19日(1836年2月5日)、鹿児島で生まれました。薩摩藩主・島津斉彬の養女として13代将軍徳川家定の正室となり、江戸城大奥に入りますが、当初は将軍継嗣を一橋慶喜にするための工作の一環と見られ、慶喜嫌い(水戸嫌い)の大奥の反感を買いました。家定との間に子供ができれば状況は一変したのでしょうが、病弱な家定は結婚後2年も経たずに没し、篤姫は落飾して天璋院と号します。🌲🍎

紀州出身の14代将軍家茂の義理の母となり、宮中から皇妹和宮を家茂の正室に迎えますが、武家と宮中のしきたりの違いから、嫁姑が反目したことはよく知られます。しかし家茂が病没し、大政奉還と幕府瓦解に直面すると、篤姫と和宮は協力して徳川家存続に尽力し、江戸無血開城実現にこぎつけます。 勝海舟は維新後、「二人が勝邸に遊びに来た折、昼食になり、どちらが相手のご飯をよそうかでもめたので、仕方なくお櫃をもう一つ用意し、互いに相手のご飯をよそって丸く収まった。帰りは一つの馬車に並んで仲良く帰っていった」と愉快げに語っています。🌲🍎

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