「恵観大阿闍梨様の護摩行&明治維新は鹿児島から始まったのリンク」

こんにちは・・・鹿児島県南大隅町(旧根占)出身で東京都町田市成瀬の自然豊かな街に住んでいます大園です。
「歌子のコラム」をお読みいただきまして有難うございます。🏵🌲

三男の新型コロナウイルスの接種券が届いて居りますので昨日から確認して本人に聞きながら今日やっと一回、二回の予約が出来ました。
8月と9月にかけてですが、今日予約センターにお電話いたしました。🏵🌲

三男が買い物で出ていたため母である私が予約していました。
帰ってから近いところで早い時間が良いとのことで、変更の予約をいたしました。

予約センターの方には大変ご迷惑をおかけいたしましたが、家族4人とも接種出来ますので気が楽になりました。🏵🌲
かと言っても感染対策はしていきます。

 

 

 

 

 

 

鹿児島最福寺さんでの恵観大阿闍梨様の護摩焚きです。
合掌して太鼓の音、護摩の炎を見ながらの一緒に行が出来るのは本当にありがたいものですよー!💜💙💜💙💜

 

 

 

 

 

 

 

 

 

高野山天風チャンネルさんんの動画です。💜💙💜💙💜💙

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

明治維新は鹿児島から始まった!?
新しい時代を切り開いた西郷隆盛と大久保利通

 

 

https://www.kagoshima-yokanavi.jp/article/meijiishin

 

 

 

戊辰戦争での活躍で、西郷は時代の寵児に

 

「薩英戦争」の後、イギリスと手を結び最新鋭の武器を導入するなど、富国強兵を進めてきた薩摩藩の軍事力は、国内に敵はないといえるほど強大なものになっていきました。そして、その矛先は倒幕へと向けられ、「戊辰戦争」で一気に爆発します。🍊🍓

当時、京都には続々と過激な尊攘派が集まり治安が悪化していたので、1864(元治元)年に大久保らの口添えによって沖永良部島から鹿児島に呼び戻された西郷が軍の指揮官に任命されて、攘夷の急先鋒を担う長州藩が御所になだれ込んだ「禁門の変」を制圧しました。西郷はその後、幕府からも朝廷からも敵扱いされた長州藩を征伐する「第一次長州征伐」の交渉役を任されると、今度は戦わずして長州藩を降伏させたことで武名を全国に響かせます。こうした争いもあり、薩摩藩と長州藩は対立関係にありましたが、1866(慶応2)年、西郷と大久保は坂本龍馬、中岡慎太郎の仲介によって、長州藩の木戸孝允と話し合い「薩長同盟」を結ぶと、ともに倒幕運動を広げていきます。🍊🍓

まず、西郷と大久保は、公家の岩倉具視と協力し、朝廷から討幕の密勅を引き出そうと画策。幕府側は15代将軍になった徳川慶喜が「大政奉還」を行って、政権を朝廷に返すことで倒幕を無意味なものにしようとしていました。これに対して1867(慶応2)年12月、西郷と大久保は、公家の岩倉具視と結んで朝廷に「王政復古」の大号令を出させ、小御所会議で慶喜の官位も領地も取り上げて一気に幕府を倒そうと動き出します。🍊🍓

1868(慶応3)年1月、これに反発した旧幕府軍と薩摩・長州軍が京都で衝突して「鳥羽・伏見の戦い」が起こると、それが全国に広がり「戊辰戦争」に発展しました。西郷はこの戦いで、新政府軍を率いて江戸へ進軍。新政府軍は3月15日に江戸への総攻撃を予定していましたが、西郷と幕臣の勝海舟が江戸で会談し、幕府が新政府軍に江戸城を明け渡すことを条件に総攻撃を中止。勝はのちに「西郷のおかげで江戸の人々の命を救うことができた。他の人では交渉はまとまらなかった」と感謝したといわれ、西郷は一躍時代の寵児となりました。🍊🍓

7月17日に写しました。
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