島津久光の曽孫島津忠彦の夢枕に尼僧が経ったのは光明寺の川上妙貞尼」

こんばんは・・・鹿児島県南大隅町(旧根占)出身で東京都町田市成瀬の自然豊かな街に住んでいます大園です。
「歌子のコラム」をお読みいただきまして有難うございます。🍊🍑

今日はパートの会仕事が終わってから美容室でカットしてさっぱりしています。(笑う)🍊🍑

 

大園家の納骨堂が指宿市の光明寺さんに有ります。
高野山清浄心院さん、江ノ島の江ノ島大師さん、光明寺さんにご祈願をしていただきますが、光明寺さんから毎年送られてきます新年おこずり祈祷腕輪念珠のことが分かってきました。🙏🙏🙏

 

 

 

 

 

1951年、島津久光の曽孫・島津忠彦の夢枕に尼僧が立ち、『当家に伝わる弘法大師ゆかりの品を奉納するように』というお告げがあったそうです。🙏🙏🙏

そんなこんなで、夢に出てきた尼僧を探すと、このお寺の川上妙貞尼がその人だったという!

ということでお告げ通り、島津家代々に伝わる弘法大師ゆかりの密教法具の1つ、金色の鳳凰をかたどった香炉と如意棒を島津家代々の祖霊の願文とともに奉納。

 

 

 

 

47番札所

指宿高野山 光明寺

(いぶすきこうやさん・こうみょうじ)

 

お寺の紹介

 

薩摩半島の一角、縁に囲まれ全国に知られる温泉の里指宿天然砂蒸しは特に有名であります。この地に光明寺があります。 寺周辺には、そら豆、おくら等畑が多く季節を感じます境内に目を向けますと前面を駐車スペースとして広く取り高齢者の方、身体に障害のある方が安心して御参りができるように設計してあります。又、参拝者の皆様の健康を祈って、観音菩薩蔵を平成18年に建立しました。🙏🙏🙏

お寺のイメージ

堂内に地蔵菩薩を本尊として安置しその側に寺宝で大師ゆかりの密教法具の一つ香炉と如意棒が島津家祖霊の願文とともに奉納してあり年に1回元旦の日にご縁にあう事が出来ます。  当寺は修行はもとより悩みのある方が“笑顔で帰っていただきたい“これを心より望むてらです。 『今日を大切に、出会いを大切に、明日を元気よく』🙏🙏🙏

 

お寺のイメージ

ポッカポッカした温泉地「指宿」

 

篤姫出生の地として有名です。当寺は四面、四季折々な彩菜な野菜、オクラ畑、そら豆畑、菜の花畑等、境内から見渡すと色鮮やかな風景が目に焼きつきます。参拝の皆様方にも楽しんで頂けると思います。🙏🙏🙏

又、お参り後指宿産のさつまいもと茶で楽しいひと時を堪能できます。お帰りは池田湖に回って大鰻を見て、枕崎で鰹料理を賞味してみるのもおつなものです。🙏🙏🙏

 

住職紹介

 

住職 川上勇道

暗い話題が多い昨今、心ある人間としていきていく事は容易ではありません。苦難を乗り越え、明るい日差しを私と共に探し、強い絆で皆様一人一人を幸福の道に導きたい。僧侶として今、何が出来るのか日々弟子達に申し付けております。今の世の中を生き抜いて幸福の道であるお大師さまの教えを広めていたいと祈念いたしております。🙏🙏🙏

 

 

 

 

 

島津忠彦の概要

 

 

https://www.weblio.jp/wkpja/content/%E5%B3%B6%E6%B4%A5%E5%BF%A0%E5%BD%A6_%E5%B3%B6%E6%B4%A5%E5%BF%A0%E5%BD%A6%E3%81%AE%E6%A6%82%E8%A6%81

 

 

経歴

鹿児島県[4]鹿児島市清水町出身[1]男爵・島津壮之助の長男として生まれる[2][5]。父の死去に伴い、1925年4月15日、男爵を襲爵した[2][6]。💥💙

鹿児島県立第二鹿児島中学校 (旧制)を経て[1]1923年成蹊実業専門学校本科を卒業[3]三菱銀行に勤務[5](約10年間[1])。以後、三和電機社長、鈴木商店代表者、鹿児島製紙興業社長などを務めた[3][7]。💥💙

1939年7月、貴族院男爵議員に選出され[8]公正会に所属して活動し、1947年5月2日の貴族院廃止まで在任[3]大蔵省委員も務めた[3]

戦後、1947年4月、第1回参議院議員通常選挙鹿児島地方区に出馬して当選(任期3年)し、第2回通常選挙でも再選された[7]。その後、自由民主党に所属し、参議院電気通信委員長を務めた[7]。その他、帝都高速度交通営団理事、阪神高速道路公団監事を務めた[4]。💥💙

 

 

親族

 

参考文献

  • 『新訂 政治家人名事典 明治〜昭和』日外アソシエーツ、2003年。ISBN 9784816918056

  • 霞会館華族家系大成編輯委員会編『平成新修旧華族家系大成』上巻、社団法人霞会館、1996年。

  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 – 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。

  • 人事興信所編『人事興信録』第14版 上、1943年。

 

 

枚聞神社ほぜ祭り

 

 

 

 

 

 

 

6月21日に写しました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Spread the love

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です