「島津家のはじまりは源頼朝だった!薩摩藩の初代創設者「島津忠久」のリンク

こんばんは・・・鹿児島県南大隅町(旧根占)出身で東京都町田市成瀬の自然豊かな街に住んでいます大園です。
「歌子のコラム」をお読みいただきまして有難うございます。🐞🏵

今日はパートのお仕事に行ってきました。
帰りは横浜線成瀬駅前でお買い物しますので町田市体育館と中央公園の写真を撮りました。💮🌵

 

町田市体育館横

 

 

 

 

 

 

中央公園

 

 

 

 

 

 

 

薩摩藩の初代創設者「島津忠久」ゆかりの地をめぐる旅のリンクを貼らせていただきました。🍱🍵🍱🍵🍱🍵

 

 

 

 

薩摩藩の初代創設者「島津忠久」ゆかりの地をめぐる旅

 

 

https://www.histrip.jp/170916kagoshima-4/#:~:text=%E5%B3%B6%E6%B4%A5%E5%BF%A0%E4%B9%85%E3%81%8C%E4%BF%A1%E5%B7%9E%E3%82%88%E3%82%8A,%E3%81%84%E3%82%8B%E3%81%A8%E3%81%95%E3%82%8C%E3%81%A6%E3%81%84%E3%81%BE%E3%81%99%E3%80%82

 

島津家のはじまりは源頼朝だった!薩摩藩の初代創設者「島津忠久」

 

 

 

島津家の誕生は源平の頃から始まります。頼朝の寵愛(ちょうあい)を受けていた丹後局が子供を身ごもり、これを知った頼朝の正室北条政子に妬まれました。そのため鎌倉を逃れ、大阪府の住吉大社につき、忠久を産みました。住吉大社の境内には忠久誕生石が、島津家における稲荷信仰や雨を瑞兆とする慣わしはこの故事に由来するものであるとされています。💢💜

その後、元旦参拝のため住吉大社を訪れた摂政(せっしょう)近衛基通(このえもとみち)に救われます。丹後局は、近衛基通の家来・惟宗広言(ひろこと)のもとに嫁ぎ、忠久も惟宗を名乗ることになりました。
頼朝は忠久誕生の知らせを受け「三郎」の名を与えました。1185年に頼朝と初めて対面し、頼朝の家臣畠山重忠(しげただ)の一字を得て「忠久」と名乗る事になり、その後九州をおさめるようになりました。💝💥

 

 

南大隅町諏訪神社

 

鹿児島県南大隅町に有る「諏訪神社」は、二基の並列鳥居で有名です。鹿児島県神社庁のHPによると、1495(明応4)年、小根占郷の総社として信州諏訪神社より分霊を勧請奉斎したとのこと。古くは上宮と下宮が境内に並び建っていたそうです。御祭神は、建御名方命(タケミナカタノミコト)と事代主命(コトシロヌシノミコト)になります。💚❣

 

 

南大隅町に諏訪神社が有ります。🍑🌽
どのようにして南大隅町に諏訪神社が出来たか知りたかったです。

島津家のはじまりは「源頼朝」で薩摩藩の初代創設者は、「島津忠久」
南大隅町の諏訪神社は小根占の総社として信州諏訪神社より分霊を勧請したとのことで素晴らしい神社です。

去年は新しく駐車場も出来て綺麗になっているようです。🍊🍄

 

 

 

法華堂跡の色んなお話①〜島津忠久のお墓〜

 

 

https://grinbambi.exblog.jp/239979831/

 

ではなぜここに島津のお墓
しかもこの山の裏側(向こうから言わせればこちらが裏側ですが)には
源頼朝のお墓があります。💙💞
頼朝のお墓の近くになぜ島津?それも建てられたのは1779年
思いっきり江戸時代です。
島津忠久=九州島津氏の祖

 

忠久の母は丹後内侍
彼女は頼朝の乳母、比企尼の娘で、頼朝が伊豆で流人生活を送る永い間、
家人藤九郎(安達盛長)と流人館の1つ屋根の下で
頼朝の身の回り一切の面倒をみる事になり、💛💥
これって自然のなり行き?
正妻の政子よりも頼朝の全てを知っている女性なわけですよ。
1179年12月29日丹後内侍は頼朝の配慮により上洛の途中、住吉神社で忠久を出産します。
大姫誕生の1年後、頼家誕生の3年前になります。もっと前には八重姫との間に千鶴丸もいた訳だし、💜💖

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