こんばんは・・・鹿児島県南大隅町(旧根占)出身で東京都町田市成瀬の自然豊かな街に住んでいます大園です。
「歌子のコラム」をお読みいただきまして有難うございます。💚💥
今日のお天気は雨は降らずに曇りが多くて暑かったです。
パートのお仕事に行きましたが、いつもより喉も乾いてしまいペットボトルのお茶を何回も飲みながらのお仕事でした。💜💢
又就業報告書を町田のシルバ人材センターまでもって行き、高齢者が働けるシルバー人材センターさんに
感謝しています。
仕事しないで家にばかりこもっていたら健康に良くありません。(#^^#)🐸🐦
就業報告書を出して帰りに写しました。
トンネルの上の方に横浜線の電車が走っているんですよー(笑う)🌻🌹
明日もお仕事です。
祖母と父が島原生まれと知りましたけれども、10代の頃は橋幸夫さんの歌が好きでした。🍉🍍
「南海の美少年」の歌が歌われていた頃、鹿児島市内で美容室のインターンをやって良く口ずさんでいたものです。
(17~18歳)
島原地方の歴史や天草四郎がどのような人で有ったのか知ることも出来ました。🍄🍑
橋幸夫さんの「南海の美少年」と天草四郎について語られる逸話4つ。島原の乱を知る本もご紹介の引用とリンクを貼らせていただきました。🏵🌺🏵🌺🏵🌺
橋幸夫「南海の美少年」
https://www.youtube.com/watch?v=0ac6SOfUlQc
天草四郎について語られる逸話4つ。島原の乱を知る本もご紹介
https://honcierge.jp/articles/shelf_story/4030
2:数々の奇跡をおこした
天草四郎は、生前にたくさんの奇跡をおこしたと伝えられています。たとえば、彼に触れられた盲目の少女は視力を取り戻し、呪文を唱えられたスズメは動きを封じられたそうです。また、海の上を歩いて渡ることができたとも言われています。🐞🐝
3:襞襟をいち早く取り入れた
「襞襟(ひだえり)」とは、天草四郎のトレードマークともいえる、あの円状に広がった襟のことです。16〜17世紀頃に西欧諸国の貴族の間で流行したもので、海外との貿易が盛んになりだした戦国時代に日本に入って来ています。四郎はこれをいち早く取り入れました。
ちなみにこの襞襟はキリスト教とは特に関係なく、単なるファッションだったようです。🦀🕷
お仕事が終わりシルバ人材センターに向かう途中で写したものです。
本を読んでいらっしゃるのでしょうねー。
暑い日も日よけの帽子もかぶらずに(笑う)