「西郷どん料理」「天璋院篤姫」(かつお節粉末)

        「西郷どん料理」

 

2018年大河ドラマ「西郷どん」に合わせた料理と言うことで
指宿観光協会のホームページを引用ています。🌵🌻🦃🐟🍆

 

 

「西郷どん」料理については、共通のメニューとしてそれぞれ「茶碗蒸し」の
料理を開発し、茶わん蒸しは、大人から子供まで好んで食べていただけるメニューで
西郷隆盛が、器量の大きな人間であったことから、大きい器を使用し、また、温泉好き
と知られる西郷隆盛が指宿の鰻温泉に滞在したということから、鰻温泉の「スメ」と
呼ばれる天然の「かまど」とかけて蒸し料理として開発することになりました。

もう一つのテーマーは、「指宿鰹節」を使用した料理、鰹節有数の生産地である山川港は
鰹節の最高級品「本枯節」生産量日本一を誇ります。
現在、より質と味、量にこだわった産地であることをPRするため、「指宿鰹節」という
ネーミングと共通のロゴマークを使用して、ブランド化と国内認知度の向上を図るために
取り組んでおられます。🐞🌴🦋🥕☀🥦

 

 

 

 

指宿白水館 🍅🥒 指宿フェニックスホテル  🥦 🍉指宿シーサイドホテル🍇🎭

指宿海上ホテル🌻🌳 いぶすき秀水園 🍅🍆 指宿コーラルビーチホテル🐳🦋

指宿ロイヤルホテル 🥥🍀花の温泉ホテル吟松  🐦🍋指宿こころの宿☀🌵

 

それぞれの宿泊施設は、指宿観光に来て下さるお客様の為に美味しく
召し上がっていただけるような料理作りに努力されています。
昔、知人に指宿観光に行かれて自然も沢山あり、温泉もあり
お料理も大変美味しかったと喜んでいらっしゃいました。

天璋院篤姫

 

篤姫は天保6年(1835)12月19日、今和泉家第5代当主忠剛の第4子として
現在の鹿児島市に生まれれました。
幼少の頃の篤姫は、一子(かっこ)と名付けられ、大変利発で活発な子だったと言われています。
約19年間を鹿児島で過ごし、指宿の別邸にも度々訪れたと言われている一子は、家のすぐ前に広がる
海岸でよく兄(忠冬)と遊んでいました。
ある日のこと海岸で漁師とのすれ違いから危険と判断した一子は、その漁師に向かって石を投げました。
そのことを知った父(忠剛)は、兄(忠冬)に勇気が持てなかったことを責め、『一子が男の子だったら』
と悔しがっていたという小説には語られています。(「天璋院篤姫」宮尾登美子:薯)このように
一子は幼少の頃から人並み外れた感性と器量の持ち主だったと言えます。

そんな一子が18歳の時に転機が訪れます。当時、第13代将軍徳川家定は、二人の妻を
公家から迎えましたが、二人ともん長生きせず家定自身も病気勝ちだったことから
家定の母である本寿院は広大院(十一代将軍家斎の妻として徳川家に仕えた島津家出身の茂姫)
にあやかりたいと、将軍をを支えられるしっかりした夫人を求め、嘉永3年(1850)
島津家に将軍夫人の候補を求めました。
島津家には、適齢期の娘がおらず、今和泉家の忠剛の子である一子に白羽の矢がたったのです。
嘉永6年(1853)、名を篤姫と改め島津家28代当主斉彬の実子として、鹿児島を立ち近衛家
の養女を経たのち、安政3年(1856)12月18日に家定と結婚しました。しかし
一年半後の安政5年(1858)7月に家定が35歳で亡くなったため、天璋院と号し、その後
前将軍の妻として大奥を仕切りました。
幕末の動乱期には実家の島津家は将軍の敵となりましたが、新政府に徳川本家の存続を
働きかけるなど、徳川家の為に尽くしました。明治16年(1883)11月20日に49歳で
亡くなりましたが、徳川家16代当主家遠(いえさと)を育てあげたのも、天璋院といわれ
現在でも徳川家に大切にされています。

 

豊玉媛神社

 

 

 

天璋院篤姫の大河ドラマを見て歴史が好きになりましたし
ここまでの記事を読み、感動しております。

 

 

 指宿には歴史も自然も温泉も美味しい食べ物も有ります
ぜひ観光してみてください。

今日の商品かつお粉末

 

2018年は大河ドラマ「西郷どん」のために
2017年「西郷どん料理」研究発表会でも
かつお節が使われております。

 


味は芸術「薩摩屋本店」 かつお粉末(味と香り/粗粉末タイプ)大・80g 鹿児島県産一本釣荒本節使用

パソコンでお困りの方は、このホームページの
お気に入り「ノコテップ・ラボ」をクリックされると
「ノコテップ・ラボ」のホームページが見られます。
良心的先生ですよ・・・ パソコインが楽しくなります。

Spread the love

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です